コラム Column

11月のコラム 2018年11月

雑感<その1>

 広い音楽の領域の中で私たちは「歌う」という行為を知っている。あの幼稚園で、小学校・中学・高校でごく自然に体験してきました。にもかかわらずこの行為はまだまだためらいのある行為といえましょう。


 「歌う」ということは、叙事詩や抒情詩を音楽的に語ったりその情感を声そのもので表現したりする行為でありますが日本では昔から詩歌を味わうということは目で見て目を通して感じ心で燃焼するという傾向があります。西洋では詩歌を味わうと言うことは人が集い朗読し耳を傾けその響きを鑑賞すると言うことが一般的であると言われています。自分の心の中だけで燃焼することと皆が集まって一緒に耳を傾け鑑賞することでは随分と違ってきます。日本人にとって「歌う」という行為はまだまだ躊躇のいる行為でありますが、世界は交通の発達と共に狭くなり東京が世界の主要な音楽市場となった今日日本がその固有性だけを保っていける時代は過ぎ去ったと言えましょう。


 国際社会ではいかに自己を主張し意見を表現できるかが必須でありますが、優れた日本の精神文化を国際性あるものとして認められるためにはひとつの手段であると考えます。日本人には能力技術力がありながらまだまだ自信をもって「表現」し得ないもどかしさがあります。いやむしろ「表現」しないことが美徳とされている風土さえ見られます。これは多くの問題を提供しています。日本人としての独創性を素直に「表現」するためにはまず「歌う」ことから始めては如何でしょうか。


アンサンブル研究会代表 渡邊 一夫