8月のコラム 2020年8月
雑感<その7>
歌の情趣~芸術の混和について~
「ドイツ歌曲」は、今日人間の心(魂)を表現するものとして国際的に共通の概念となっている。この「歌曲」の礎石は、19世紀ドイツ・ロマン派、F.シューベルト、R.シューマン、J.ブラームス、H.ヴォルフたちによって、その豊饒なうねりは示されている。
「情趣(Die Stimmung)」とは、彼らが求めたテーマ「夢と愛、幻想と情熱」への個々人の情趣であり、長い音楽の歴史の中で、これほどまでに個々人の「情趣」が重んじられた時代は見当たらない。その最もロマンティックな人物、R.シューマンを紹介しながら、彼の作品を例に<詩人と音楽家>の「情趣」について、以下の項目に従って述べてみる。
1、初期ドイツ・ロマン主義の思想
2、音楽の「情趣」について
3、歌曲集「詩人の恋」作品48について
4、R.シューマンの「情趣」について
19世紀の最もロマン主義的な性格について述べるなら、「種々の芸術の混和」があげられる。それまでの音楽は、詩や絵画・彫刻等とはいつも切り離され独自に歩んでいることが多く、ここにきて相互の接近・融和が芽生えてきた。たとえばドイツ歌曲における“音楽を詩的に、詩を音楽的に”という融合は、ロマン主義思想の重要な性格を示す一例であり、「ドイツ歌曲の誕生」の礎石となっている。
19世紀の音楽における「情趣」は、ロマン派音楽の特徴的な気分を意味し、それはメンデルスゾーン、シューマン、ショパン、リスト、ブラームスの作品の中にも色濃くみられる。歌曲における「情趣」は一般に“詩想が楽想に先んじ、楽想は詩想に暗示されている”といわれるが、詩人と作曲者の「情趣」は必ずしも一致しているものではない。寧ろ異なる例はたくさんある。しかしながら、詩想と楽想は反応し合い、詩想も“生きている”し、楽想も“生きている”といえよう。その例をR.シューマンの歌曲集「詩人の恋」を例に、文学的詩想と楽想について指摘してみる。
作曲者R.シューマンは、その創造の過程で彼の歌曲はロマン的文学の限りない詩想を、音楽というきわめて特殊な純粋さと愛によって受け入れている。そこではいかなる文学(詩)もごく自然に吸収され、彼にとって「詩」とはあくまでも「音楽」への詩想を得るためのものであった。それ故に詩人への、詩への、文学的敬虔さはあまり尊重されていない。
歌曲集「詩人の恋」をみても「言葉」は自由に付け加えられ、置き換えられ、繰り返され、取り除きは勿論、自分の楽想にとけ入る詩句を発見しては挿入したりしている。それは文学的な詩人からみれば、あまりにも特殊な情緒に浸った半詩人的空想・幻想のように見えよう。しかしながら、彼の音楽の本質はいつも一貫した音楽的理念に基づく詩的な響きにあり、反復・繰り返し・色彩・華やかな和音は、「言葉」に対する彼の音楽的主張なのである。それはあたかも彼の心の内奥の言葉のように語りかけ、詩のために音楽を、音楽のために詩を創造しているかのようである。このような彼の「音楽」と「言葉」の調和は、その後の歌曲芸術の基調となって音楽家が詩人に、詩人が音楽家になり得る芸術の結びつきを予感させていた。
H.ライヒテントリットは、「R.シューマンにとって~詩的~という言葉は~音楽的~という言葉と同じ意味であり、彼にとっては、音楽の本質、その芸術的な開花は必ず詩的なものでなければならなかった」と述べているが、彼の作品における信条は、歌曲を詩的な高みへと導き、その魂の若々しいゆさぶりは、まさしく彼の「抒情」であり、文学と音楽の混和によって開拓された彼の世界「情趣」なのであろう。
雑感<その6>
前回は「声の技法」について二つの課題(目安)について述べてみたが、ここでは如何に認識し要約したらよいか記してみよう。
一、 発声器官・機能をいかした無理のない美しい響きを得るための訓練、
二、 明晰な言葉を発音するための訓練、
「声の技法」の目安は、まさにここにあると言えよう。では具体的にいかなる状態にあればよいか。
「広い空間で長時間耐え得ること」
この一言に集約されているように思える。今日、<広い空間>に関しては、音響効果の整った音楽ホールや拡声機器等の普及によってある程度満たされているが、<長時間耐え得ること>に関しては、どのジャンルの歌唱者にとっても大きな課題である。そのためには「合理的な発声を体得すること」
が重要になってくる。合理的な発声とは、身体に無駄な片寄った力みのない発声のことで、前述一、に該当する。言い換えるなら、身体が「楽器」として機能するための訓練である。
この姿勢を「声楽的姿勢(身体の楽器化)」と言えよう。この「声楽的姿勢」を基調とした実践的な「声の技法」について述べてみたいが、その過程に於いて、前述二、を加味し進めてみることとする。
具体的には、発声器官、特に「共鳴腔」の役割を解説し、<声域・声種・声区>という声の特性を認識しながら、実践的な「声の技法」へと発展させてみたい。
その主旨は次のように要約できる。
・「声楽的姿勢」による横隔膜を中心とした呼吸法に基づく発声訓練
・「頭部共鳴」特に鼻腔を中心とした共鳴器官の働きに基づく発声訓練
・指定された音符をすばやく予知、予感し、柔軟な発声機能の、バランス良い拮抗感覚に基づく緊張状態での移行訓練
訓練方法としては、いずれも実技の伴う論理であるが、以下の項目で基本的一例を述べてみる。
・単音による発声訓練
・複音(音程)による発声訓練
・中声区域から高声区域への発声訓練
・高声区域の発声訓練
・中声区域から低声区域への発声訓練
・低声区域の発声訓練
・高声区域(頭部共鳴)から低声区域へのp(弱声)でのレガート唱法
さて、この訓練方法については、あくまでも<音楽する(musizieren)>ための技法であることを強調しておきたい。「声の技法」とは「音楽」を目指す「心の表現」であり、「技法」のための「技法」ではない。「声」そのものが、常に音楽を意図したものでなければならない。
教育者マーセルは「教育とは人格と知性の向上を意味します。そして技術はその向上のために欠くことのできない道具なのです。教育の大切な問題は、いかにして技術の習得を人間にとって有意義なものにするかということであって、いかにしてそれをなしですませるか、ということではありません。」と述べている。
マーセルの言葉は、音楽に置き換え(特に歌曲演奏者にとって)多くの思索を与えている。