4月のコラム 2021年4月
雑感<その9>
~ドイツ歌曲に於ける美的基礎の確立~
人間の歴史の中で時代の条件や葛藤によって結実された「文化」を想像することは楽しいものである。音楽の歴史、ここには確実にその時代の「文化」が息づいている。
さて、文芸・芸術におけるロマン主義運動は、19世紀の特質であるが、本来ロマンティックな傾向とは、心の秘奥に備わっている最も自然な精神であり、それはある精神的な刺激によって喚起され活動するものであるといえよう。
芸術活動におけるロマン主義運動は、そのような刺激が圧倒的になりその様式が支配的になって、作品の形式・内容を決定し確立していることは歴史が証明している。
初期ドイツ・ロマン主義(1775年頃)とは、はじめのうちは文学の世界に現れ、いわゆる「疾風怒濤」(Sturm und Drang)の時代であり、この時代は、ゲーテ、ヘルダー、シラー等の活躍したドイツ・ロマン派芸術の夜明けともいわれている。
F.シューベルト(1797-1828)
彼の生きた時代は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期と言われているが、感情表現は既にバロック・古典派へと一般化され重要な役割を演じていた。先に述べたようにゲーテ、シラーをはじめ文学(詩歌)の世界では既に感情表現は重要なテーマとなっていたが、音楽の世界では19世紀半ばに至ってようやく浸透し表現力は繊細になり多様化されてきた。多様化の例を述べるなら、シューベルトの時代ドイツで栄えていた家庭音楽(ハウスムジーク)がウィーンに浸透しサロン音楽として楽しい多くの歌曲が歌われていたと言われている。(F.シューベルトについてはいずれ述べたいと思う)
H・ハイネ(1797~1856)
R・シューマン(1810~1856)
この詩人・音楽家の生まれた頃のドイツ文学は、まだ啓蒙主義文学に革命的であった「疾風怒濤」の老大家たちは存命していたが、青年時代の情熱はうすれその方向性を失っていた。一方音楽はこれまで文学・美術にあまり関心をもたず独自の性格を固守するのみであったが、ここにきてロマン主義の理想が芽生えてきた。
H.ハイネ、彼の青年時代は、フランス革命、7月革命と先進国の自由な風潮を予感しながらも、まだ近代国家としてのドイツ統一の理想は遠く、封建諸国家による自由の抑圧は身近に残っていた。ハイネは自身が述べているように「私はゲーテのような“生”の人間ではなく“イデー”の人間である」と、その天真爛漫な性格は容易にとけこめる時代ではなかった。
R.シューマン、彼は音楽におけるロマン派精神の化身であるといわれ、彼のロマン的な特性は、文学的な素材、ジャン・パウル、フリードリッヒ・リヒター、ホフマン、リュッケルト、アイヒェンドルフ、
ハイネたちの文学が、彼の精神構造の中に深く宿っており彼の感情の高揚はいつもこの仲間たちの幻想的な詩に合致し、ここに「詩と音楽の結合」という新しいロマン主義的思想として育まれ、ドイツ歌曲における美的な基礎が確立したといえるだろう。