9月のコラム 2021年9月
雑感<その10>
F.シューベルトの歌曲は、短絡的であるが叙景的、抒情的、素朴な有節的歌曲群であると思えるが、この多様性をいちがいに断定でき得ない要素に満ちている。
例えば、歌曲集「美しき水車小屋の娘」は、素朴な有節情景的歌曲に思えるし、歌曲集「冬の旅」は、情景的抒情的な歌曲のように思える。歌曲集「白鳥の歌」におけるH.ハイネの詩による歌曲集は、印象的手法、朗誦的手法が伺え、後の作曲者たちに影響を与えている。
F.シューベルト、彼の作曲活動に要した期間は1811年から1828年と考えたとき、17年間という短い期間であり、その間600余曲の歌曲を書いたと言われている。これらの歌曲を見渡した時、ゲーテの詩をテキストにした73曲の歌曲が特筆されると言えよう。
なかでもゲーテの「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」から<ミニヨンと竪琴弾きの老人>の詩は好んで読まれ歌われている。シューベルトはこの詩の付曲によってゲーテの詩の世界を拡大し補っているように思える。
ゲーテの「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」について
主人公マイステルは裕福な商人の息子であるが演劇の情熱に取りつかれて旅回りの一座に加わり各地を遍歴している。その旅の中で竪琴弾きの老人と薄幸な少女ミニヨンに出会う。
竪琴弾きの老人はイタリア貴族の出であるが、幼くして養女に出された妹とそれとは知らず愛し合い二人の間にミニヨンが生まれる。だが、幼い時ミニヨンは誘拐され行方不明になってしまい、やがて北国ドイツで二人は邂逅し、親子とは知らずに不幸な境遇の中で親しくなるが、ミニヨンは病死し、後に老人は彼女が実の娘であったことを知り運命の翻弄に耐えられなくなり自ら命を絶ってしまう。
竪琴弾きの歌
Ⅰ.Wer sich der Einsamkeit ergibt
ウィルヘルムが老人と初めて知り合い、歌い方の絶妙さに心惹かれ老人の家を訪ね、あなたの好きな歌を歌って欲しいと願い老人がそれに応え歌った曲、
Ⅱ.Wer nie sein Brot mit Tränen aß
ウィルヘルムが老人の宿を訪ねたとき、老人が一人弦をつま弾きながら歌っている曲、
Ⅲ.An die Türen will ich schleichen
老人への様々な疑いや不審な素振りが誤解され、その不幸な噂のどん底の中で一人庭に出て歌っているのをウィルヘルムが耳にする。
主人公マイステルを取り巻く人間は多いが、作中の人物や出来事と直接間接に絡み合い密接に織りなしているのは「ミニヨンと老竪琴弾き」との物語である。薄幸な少女ミニヨンとその不幸な父親である老竪琴弾きとの運命は全巻を通して最も美しく深奥である。
竪琴弾きにおいては罪と後悔への深みへ、ミニヨンにおいては女への憧れ、蕾が開く前の予感に満ちている。ミニヨンの歌う「ただ憧れを知る人だけが」や竪琴弾きが歌う「涙を流しながらパンを」の歌をしらないものはないであろう。この詩と散文、抒情と叙事の混融は類のない作品となっている。
この詩について後に3人の作曲家が付曲しているが歌唱順番を異にしている。
F.シューベルトの場合
Ⅰ・Ⅱ・Ⅲの順で歌い、切羽詰まった精神性が感じられる。
R.シューマンの場合
Ⅱ・Ⅰ・Ⅲの順で歌い、詩の流れから淡々とした中にも朗々とし劇場的である。
H.ヴォルフの場合
Ⅰ・Ⅲ・Ⅱの順で歌い、ドイツ・ロマン派の主なる最後の作曲家として良く歌われ、詩と音楽が全く対等に扱われている。
尚、薄幸な少女ミニヨンについては、次回「雑感11」で述べてみたい!