2月の例会は、大島博先生によるJ. W. ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」の中で、“ミニヨン”という少女に歌われる4つの作中詩に対するF. シューベルトとH. ヴォルフによる付曲の違い、というものであった。
学生時代、ベートヴェンの以下のような考えを本で知った。「音楽とは、心の生活と感覚の仲介者です。ゲーテは私を分かってくれるでしょうか。旋律は詩歌を感覚的に生かすものです。詩の知的内容は、旋律により、感覚的な感受性へと転換されるのではないでしょうか。旋律を通してこそ、ミニヨンの歌の感覚的な性質を十二分に味わうのであり…」。その時、どうして歌曲の方が、詩の朗読より、激しく心が揺すぶられるのか、わかったような気がしたが、実演するとなると、様々な要素を考えなければならない、こともわかった。
拍子、フレージング、音色、強弱、バランス等の音楽的な側面、そして、作曲者のミニヨンのとらえ方の差、シューベルトは、ミニヨンを「無垢な清純な少女」としてとらえているが、ヴォルフは、ハムレットの「オフェリア」のように、一般的な人が見たら、「少し狂った少女」としてとらえている、等内容に立ち入って教えていただけて、とても勉強になった一日だった。
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