歌い手は、とにかく旋律の美しさにひかれて曲を選びがちであるが、小林先生は、「ディクションをうたいなさい、歌曲のたたずまいの中で歌い、言葉に光をあてなさい。」しかし「思い入れが過ぎるとお客はかえってひいてしまうので歌いすぎないことも大切。そこが演歌とクラシックとの違いで演歌の一歩手前でとどめなさい。」と言われた。
「落葉松」を私は原調で歌って、思うようにフレーズが伸びなかったり、発音がはっきりしない部分がはっきりしない部分があったのだが、中沢桂先生が半音上げたものをCDにされたとお聞きして、後で私も半音あげて歌ってみた結果、小林先生の言われた「フェイント掘り起こし」が円滑に行われるようになった。
ソプラノにとって、いわゆる中声区は鳴りにくい部分であり、詩のメッセージが伝わりやすくなることを体験した。
又、先生のお話の中で大変印象に残ったことは「音楽は平面でなく立方体である。p.fは距離感の差を出すこと。pは遠く広がりfは近付けることを意味する。」ということでpは小、fは大のイメージを一新させた。又、歌い手側からはピアノは伴奏と考えがちであるが、「ピアノは伴奏でなく歌と共存する共演者であり歌の部分が動きがない時はピアニストがソリストになる。」とのお話には大変納得した。両者のロールプレイにより曲の起承転結がさらに浮き彫りにされるのではないかと思った。
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